NOV'S BLOG

LGBTやSOGI(性的指向・性自認)に関する政治動向・理論や活動などについて、主に綴っているブログです。

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ソシウヨの国のゲイ活動(1)

 私が「札幌ミーティング」という札幌の性的少数者団体に入り、ゲイのメンバーとして活動を開始したのは1999年。それ以前の1997年から2年間(大学3・4年の時期)は政治学専攻の学生をしながら、北海道のNPOをネットワーキングするNPOの事務所にも出入りしていた。今考えると、NPO法成立前夜の市民活動にとって活気のある時期だった。

 

 当時、月に2回くらいは授業後や週末に開かれるNPO関連のシンポジウムでヘルプスタッフを務めたり、北海道議会議員さんと市民による勉強会にも参加したり。といっても、あの頃は今と違って物静かな赤杉康伸だったので、もっぱら、色々な人の話を黙って聞くだけというパターンだったけれど。

 

 その時代から、ゲイ活動に携わるようになった現在までの私を通して知っている人物は、恐らく大学時代のゼミ友人(の中でも、かなりコアな付き合いのあったメンバー)か、NPOに携わっていた方々くらいなはず。その中のお一人である黒川滋さん(11年前に上記の北海道議会議員と市民による勉強会で初めてご一緒し、数年前に東京で再会。昨年のパートナー選挙でも実は大変お世話になった)のブログ「きょうも歩く」に興味深い記事があり、インスパイアもされたので、数回かにわたって色々と書いてみたいと思う。

 

>>ソシウヨ・リベサヨ・ソシ・ソシサヨ(「きょうも歩く」2008年11月13日)

 

 「ソシウヨ」という言葉はこの黒川さんのブログを読んで初めて知ったのだけれど、

 

>民族主義的な価値観、愛国主義的な価値観を持ちながら、
>大きな政府を志向し、時には「社会民主主義」とか言う人たちのことである。
>平沼赳夫とか、亀井静香とか、佐藤優あたりの立ち位置を言うのだろう。

 

という具体的例示を聞いて、非常に想像しやすくなった。なるほど、あの辺りのゾーンを何と呼べばいいのか今まで適当な言葉が見つからなかったんだけど、ストンと落ちたというか。

 

 日本における本来的な社会民主主義(黒川さん曰く「ソシサヨ」)の受難は黒川さんがブログで触れていらっしゃる通りなので重複は避けるけれども、個人的に「ソシウヨ」という言葉を聞いて、「日本は結局、『ソシウヨ』的なモノがずっと幅を利かせている国なのかな」という感想を持った。

 

 55年体制下の時代、(所謂、田中派-竹下派的な)利益配分政治が社会民主主義の機能を代替したと言われてきたけれど、今考えるとそれは「『ソシウヨ』的なもの」が持つ大きな政府志向の一面であるわけだ(田中派-竹下派的な利益配分政治が、「民族主義的な価値観」、「愛国主義的な価値観」なものをみんなで共有していたとは断言し切れないので、あくまで「『ソシウヨ』的なもの」としておくけれど)。

 

 また、昨年の参院選の結果(農村部がメインである、一人区での自民党惨敗)というのは、小泉改革が持つ「リべ」的性格の結果、自民党から「ソシウヨ」的なものを求める有権者が離反した結果ともいえるだろう。結果、自民党も民主党も次期総選挙では、いかに「ソシウヨ」的なものを求める有権者を取り込むかということに全力を挙げていくのだと思われる。

 

 … とここまでであれば、「日本は結局、『草の根保守』の国なのね」的な感想で終わってしまうのであるが、そんな感想を漏らしてばかりもいられない。おそらく私自身は、黒川さんと同様に「ソシサヨ」であると思うのだけれど、それとは別にゲイ関連の活動を行なう身としては、「ソシウヨ」が多くを占める社会でどのような戦略を取っていけばよいか、真剣に考えなければならない。

 次回から数回は、そんな観点から論を進めたいと思っている。



(追記)実はこのブログで、郵政解散に伴う総選挙の直後、既に「『日本党』、もしくは町内会論」というエントリーをアップしていたことをさっき思い出した。次回以降のエントリーは、郵政解散から3年経ち、さらにゲイ界隈でも色々な政治的出来事が起こったあとに色々考えたり、自ら積み重ねた経験をもとに進めていきたいと思っています。 
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康伸

 日付が変わって昨日(13日)は実家に住む父の誕生日だった。本当は仕事帰りに直接電話でもと思っていたんだけれど、職場の半期末業務で帰りが遅くなりそうだったので、朝の通勤電車の中で「おめでとう」メールを携帯で送った。




 そのメールの最後に、僕のファーストネームである「康伸」と打ち込んだんだけど、ふと「自分の名前ながら、『康伸』ってあんまり書いたり打ったりしないし、使い慣れないなぁ」と気づいた。




 職場で顧客にメールを送る時には、デフォルトで文末に署名を入れているので、わざわざ自分の名前を打ち込まなくて済む。職場で呼ばれるときは「赤杉さん」か、別のニックネームだ。




 他方、ゲイ関係でつながった友人・知人からは「赤杉くん(さん)」「ノブくん(ちゃん、さん)」なので、「康伸」と呼ばれたことがほとんどない。自分でも「赤杉」ないしは「ノブ」と名乗ってしまう。大体にして、このブログタイトルも「NOV’S
BLOG」だったりするし。だから「康伸」は使い慣れないと自分でも感じたのだろう。





 今や、「康伸」と呼んでくれるのは父くらいなものだ。母や妹、そして亡くなった祖父母は僕のことを「お兄ちゃん」と呼ぶし、親戚は「やっちゃん」と呼ぶ。わたるくんだって、僕のことを「ノブくん」と呼ぶ。





 で、結局何が言いたいかというと、本名の中でも「康」という漢字(要は字面)が一番好きという、他愛もないことなんですけどね。なので、姓+名の形で私について言及してくださるときには「赤杉康伸」と書いていただけると嬉しいかなと。あとは自分でも、文章ベース(メールやブログ)などでは「康伸」という名前を徐々に使っていこうかなと思ってます。でも、いきなりメールで「康伸です」って文面を送っ
たら、みんな引くかなぁ?(笑)





 ちなみに、「康伸」なのになんで「ノブ」と呼ばれるようになったかというと、1999年2月、生まれて初めて行った札幌のゲイバーで「ヤスノブ」と名乗ったところ、その店のマスターに「じゃ、あなたはノブくん」と名付けられたからなんですね。その名付け親たるマスターは、のちに札幌ミーティン
グという団体での大先輩にもなるCさんいう方なんです。



 Cさんは「ノブの政治学の専門知識が、後々のゲイ活動に役立つと思う」と常々言ってくださっていました。最近になって、ゲイ活動の諸現象を、政治学的な観点から冷静に分析する機会が増えていてるのですが、Cさんの言葉の真の意味がやっと分かってきたような気がします…、というのは今日の話題から
行くと余談になるかな。

総選挙アンケート調査 回答第2弾掲載開始(公明党、国民新党)

  最近、クラブ遊びに関するエントリーが多くて、「赤杉、活動辞めたか?」と思っていらっしゃる方も多いかもしれませんが、TMGFとしての「ゲイと公共政策に関するアンケート調査」に関する話題を。



 回答第2弾掲載開始のお知らせです。日付が変わって昨日、公明党と国民新党(以上、五十音順)からのリアクションが寄せられましたので、昨日よりTMGF公式ホームページにて掲載中です。掲載ページは、公共政策回答版公約回答版です。



 これからも、さらに各党からの回答が寄せられ次第、随時アップしていきます。ぜひご覧くださいね。

スユア(zuvuya)






















評価:


松任谷由実,松任谷正隆


EMIミュージック・ジャパン




¥ 359



(1997-12-05)




















 昨夜は仕事の後、ArcHで開かれた「SWITCH」というパーティーに行ってきました。



 DJ陣の中の一人が、札幌の学生ゲイサークルで一緒だった子(僕より4歳年下)なのです。DJプレイをしているその子はやっぱり大人っぽくなってるし、自分は33歳だし(今の年齢、結構好きだな)ということで、8年という月日の流れを否応無く感じさせられるのです。だけど、会って話をするとサークル当時の雰囲気というかノリのままで。



 ユーミンのアルバムに『スユアの波』(1997年)という作品がある。「スユア(zuvuya)」というのは古代マヤ語で、「意識をその波にチューニングすると、時空を超えることの出来る波」という意味らしい。ユーミンは「望めばいつでもその頃に行ける」「時間をかける、いつでも青春していた時代に戻れる」という願望を込めて、この言葉をアルバムタイトルに冠したらしい。



 昨夜踊りながら、そんなことを思い出した。

30代の輪の中で

 金曜(7日)夜の仕事後は、友人(札幌時代からの親友と、ご近所さんのお友達)と新宿で食事。その後、普段は毎週水曜にお世話になっている方々と1時間強ほど某店で飲む。さらにその後、bar非常口で開かれていた「R35」というパーティーに行ってきました。メンオンリーパーティ「30代でないと」の30代以上限定版(注:普段の「30代でないと」は、30代好きな20代のお客さんも結構いるのです)。







 「30代でないと」は、過去に2回だけ行ったことがあって、一度はまだ20代の時にちょっと雰囲気が知りたくて。…すんげー混んでいるという印象を抱いて帰りました(笑)。2度目は30代になった後、浜松から遊びに来た20代の友人にせがまれて、同行したという経験です。・・・やっぱ、すんげー混んでいるという印象を抱いて帰りました(笑)。ということで、30代になってから自分の意思で「30代でないと」に行ったのは今回が初めてでした。





 えーっと、30代以上限定ということと、会場が若干広めのbar非常口ということもあって、フロアで踊るには適正な客数だったような気がします。んで、懐かしい選曲のせいか、お客さんもわりとガンガン踊っていたような気がします。個人的にはクラブに行くと「男よりも、曲や踊りっ!」という感じなので、今回の雰囲気はわりと合っていたかな。





 「R35」ということで「選曲とかついて行けるかしら…」と若干不安だったんですけど、クラブで踊ったことはなくても、中学・高校生の時に聞いていた曲が多数流れてたんで楽しかったです。赤面するほどベタなユーロ物(アイドルをやってる頃のカイリーとか)や、New Kids On The Blockの「Step by Step」なんてすごく懐かしくてねぇ。「Step by Step」は1990年の曲ですって。



You Tube「Step by Step」(埋め込みが無効だったので飛んでみてくださいね)



 朝までは辛いかなぁと思ったけれど、ちょっと疲れたら外で涼むということを繰り返していたら意外と大丈夫で、12時くらいから4時半まで遊んで中央線で帰りました。タクシー代節約(笑)。他人事のように言ってしまうけど、30代の大人が楽しそうに唄ったり踊ったりするのって、良い風景だよなぁって思っちゃう。そんな空間の中で自分も踊っていたので、あんまり疲れを感じなかったのかも。

売り方を変える

 最近、仕事帰りに気になるパーティーがあれば、平日でも新宿二丁目のクラブ ArcHに遊びに行きます。平日でもArcHでは、毎晩色々なパーティーが開かれているのです。



 週末、人がいっぱいに溢れたパーティーの熱気も好きですが、好きな曲で踊るには、平日のまったりとした感じの雰囲気がより合っているような気がします。



 で、つい先日も平日夜、ArcHのラウンジパーティーに足を運んだところ、某友人と偶然会いました。平日のArcHで会う大抵の友人に言われるのと同じように、某友人にも「こんなところで会うとは思わなかった」と言われました。



 自分としては約10年前にデビューして以来、そこそこクラブで遊んでいたつもりなので、「こんなところで会うとは思わなかった」と言われるのは若干不本意な自分。それに対して某友人曰く「やっぱ、まじめで堅いイメージだからダメなんじゃない?いつも仕事が終わるとまっすぐ帰宅して、アンケート調査を作ってるようなイメージがある」とのこと。「もうちょっとカジュアルな感じのイメージで売った方が良い」。なるほどねぇ。



 ま、だからと言ってここで、イメージチェンジキャンペーンを必死に展開するのもちょっと痛い気がするのですが(笑)、気になるパーティーでは普通に遊んでたりするので、見かけてもあんまり意外がらないでくださいね。

コミュニティ

 やはり昨日のエントリーで書いたのですが、11月3日、「Living Together Lounge」の後、引き続きArcHでパーティオーガナイザーやDJさん向けの、HIV/AIDSとドラッグ関係の現状報告会というのが開かれ、パートナー氏と同席させてもらいました。



 研究者による現状報告アリ、当事者による体験談アリという構成だったのですが、その中でハッとしたお話を一つ。



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 よく、HIV/AIDS予防・啓発活動をしていると、「ゲイコミュニティ」という言葉が使われるけれども、結局、コミュニティって一つ一つのゲイバーであったり、一つ一つのパーティー(クラブイベント)のことなんだよね。「ゲイコミュニティ」って大きな言葉で言われるとピンとこないけど、コミュニティって結局、友達のA君、B君、C君…という一人一人のつながりの輪や、集まりなんだよね。



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 本当にそう思います。



 文化や政治の主体として、「ゲイコミュニティ」「LGBTコミュニティ」という大きな括りを今なお打ち出したい人もいるのかもしれません。



 でも、この10年近く、素手で格闘してきた人間のひとりとして、「コミュニティって結局、友達のA君、B君、C君…という一人一人のつながりの輪や、集まりなんだよね」という言葉に大きく同意したいと思います。



 大括りの「ゲイコミュニティ」「LGBTコミュニティ」という言葉に郷愁を持っている人は、もしかすると寂しさを感じるかもしれません。しかし、コミュニティが「一人一人のつながりの輪や、集まり」だからこそ、セクシュアリティやジェンダーという括りを越えて、もっと大きな広がりを持つ可能性があると考えると、ちょっとだけワクワクしませんか?

ちょっと感動したこと

 数週間前に、伏見憲明さんがマスターをしている水曜日のメゾフォルテに行った時のこと。「札幌ミーティング」という、私が上京する前に所属していたセクシュアル・マイノリティの団体出身の方に偶然出会った。その方は、今年大学を卒業して、今は東京に暮らしているのだそう(なので、私よりも10歳近く若い)。



 その方はもともと北海道出身ではないとのことなのですが。私が最後にレインボーマーチ実行委員を務めた2003年、上田文雄札幌市長がレインボーマーチ後の集会で挨拶したという情報を聞いて、当時高校生だったその方は「じゃあ、大学は札幌の大学に行こうか」と決めて、北海道へ進学。そして、札幌ミーティングに所属し、レインボーマーチの実行委員も1年務めた。で、今年、卒業とともに上京されたとのこと。



 …という話をうかがって、ちょっと感動してしまった。まず、2003年は私が最後にレインボーマーチの実行委員を務めた年。1月の立ち上げ時から「自分が実行委員をするのは、これが最後」と心の中で決めて、札幌市長選候補者や北海道知事選候補者へのアンケート調査を作成したり、広報担当として駆け回ったりと、本当に全力投球していた。全力投球して熱くなりすぎて、他の実行委員や札幌ミーティングメンバーと起こした衝突も結構数知れないほど(苦笑)。



 そんな2003年のパレードの情報をきっかけに、北海道の大学への進学を決め、札幌ミーティングやパレード運営に携わろうとしていた方がいらっしゃること自体が、自分にとってはちょっと感動的。しかも、その方が大学に入って卒業するほど、年月が経っていて、自分がその間、曲がりなりにもアクティビティに携わり続けていることにも感慨。長生きはするものだなと(笑)。



 活動歴も10年近くなると、ちょっとやそっとのことでは感動しなくなるんだけど、なにか「バトンがきちんとリレーされている」感がひしひしと感じられたのです。自分は子どもを持つことが恐らくこれからもないだろうし、それゆえに異性愛の人に比べて、「次世代に何かを伝承して、託す」ということを実感する機会が少ないような気がするのです。が、今回聞いたお話で、なんか擬似的にそんなことを知らず知らずのうちにしていたのだなと思い至りました。



 また、正直言って、昨年の選挙と今年のパレードをめぐる一連の言説から、「どうせ自分が活動したってどうにもならない」「責任なく発言する人は、結局好き勝手なことしか言わない」「コミュニティなんてありやしない」と、ちょっと自暴自棄気味になっていたのが、今年夏以降の自分だったのですが。でも、「ほんの一人でも、メッセージを受け取ってくれている人がいたら、それでいいじゃない」という温かい気持ちを少しだけ取り戻すことができたような気がします。



 ま、だから、また「以前みたいに全力投球で頑張る」ということは心身ともにできないし、自分にとっても周囲にとっても必ずしも幸せなことではない。なので、良いバランスを模索しながら、引き続き小休止状態を続けようと思っています。しばらくは半隠遁で。 

BBMより泣けたBon Voyage

 昨日のエントリーでも書きましたが、11月3日の「Living Together Lounge」に行ってきました。で、肉乃小路ニクヨさんのショーのドラァグクイーンショーを久々に見てきました。本編は越路吹雪のショーでそれも面白かったのですが、松坂慶子のシャンソン リサイタル音源「Bon Voyage」のショーがとても良かった…。



 シャンソン リサイタル音源「Bon Voyage」の内容はだいたい以下の通り。



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 松坂慶子と仲の良い、新宿の「オカマバー」(観光バー?)のマスター(60代)は若い男と付き合っていた。マスターは若い男が眠った後にメイクを落として眠り、若い男が起きる前に起きだしてメイクをして、常に綺麗な状態で若い男に接していた。



 しかし、マスターも60代。疲れていたのか、ある日寝過ごして、ステテコを穿いてサロンパスを貼った姿を若い男に見られてしまった。そして若い男に「マスターも歳だねぇ」と言われ、逃げられてしまった。



 その冬、そのマスターが、東北地方の雪が降る道で行き倒れて死んでいるのがみつかった。マスターはその道の先の大きな旅館の一人息子だが、高齢で一人旅館を切り盛りする母親にはカミングアウトをしていなかった。生前、マスターは松坂慶子に語っていた。「慶子ちゃん、自分は大きな旅館の一人息子なんだ。本当は自分が後を継がなきゃいけないんだけど、自分がオカマだって親には言ってないから、帰れないんだ。でも、帰りたいな。帰りたいよ、慶子ちゃん…」。



 そんなマスターは、松坂慶子をなぜか可愛がっていました。「慶子ちゃん、あんたといると気をつかわなくて楽だわ。だって私たち、女同士だもんね。女同士…」。



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このストーリーを松坂慶子が語りながら、間で、東北弁の「Bon Voyage」を唄うのです。最初の「新宿の『オカマバー』」の部分では、会場から大笑いが起こるのですが、マスターと松坂慶子が憑依したかのようなニクヨさんの迫真のリップシンクショーに周囲はしだいに引き込まれ、固唾を飲んで見守っていくようになるのです。



 実はこのショー、某店の周年パーティーで見たことがあるんだけど、その時も会場の空気がだんだん変わっていくのが感じられ、最後には涙を流している人も結構いた(その一人が私)。今回も内容は知っているはずなのに、まんまと泣かされてしまったのです(涙を流している人は少なかった気もするが)。



 なんかね、個人的には、映画「ブロークバック・マウンテン」(以下、BBM)よりもずっと感動したんですね、「Bon Voyage」のショー。BBMを映画館でパートナー氏と一緒に見たときは、「良い映画だなぁ」とは思ったんだけど、いまいち実感としてピンとこなかった。その後、ゲイの諸先輩の解説や思い入れをたくさん聞くことになったんだけど、それでも「良い映画だなぁ」という以上の感慨は残念ながら起こらなかった(BBMファンの方、ごめんなさい! 決して貶そうということではないんですよ)。



 が、今回の「Bon Voyage」は本当に泣けた。それって、色々な意味でリアリティを感じたからだと、後から自分で分析して思った。まず、アメリカのお話であるBBMに対して、日本のお話である今回の「Bon Voyage」。そして、雪が降る情景というのも、北海道出身の自分にとっては、とてもリアリティがあるというか郷愁を感じた。



 それになにより、自分も、タイミングや取る選択が変わっていれば、「親に絶対カミングアウトできない」と思い続けていたかもしれない。なんてったって、2000年の2月(やはり冬!)、ゲイ雑誌が見つかって母親にカミングアウトするまでは、「自分は家族にはカミングアウトできない」「ゲイとして生きたいから東京に出なきゃ」と思っていたクチですから。





 「だから、みんなカミングアウトできればいいのに」みたいな安易な流れに、今の自分は与しない。それでも、いつもは一人生きていても、なにかあった時に、精神的に支えになるような共振できる仲間 -それはセクシュアリティやジェンダー、年齢関係なく- がいると、人生は彩り豊かになるのかなと思った。マスターが松坂慶子に言っていた、「慶子ちゃん、あんたといると気をつかわなくて楽だわ。だって私たち、女同士だもんね。女同士…」のような共振し、共感できる仲間の存在…。

リハビリの結果

 この3連休はパートナー氏とちょっと所用で出かけたり(1日)、友人と会っていたり(2日)していたものの、それ以外は案外おとなしく家に居た週末でした。テレビやラジオなどのメディアにも触れず、おとなしく心身のケアをしていたというか。ゲイ関連の真面目系&エンタテインメント系のイベントも、この3連休、都内を中心にたくさんあったようです。あと大阪でもちょっと気になるイベントがあったんですけど、結局はどれも足を運ばずじまい・・・。



 そんな中ひとつだけ、昨夕、イベントに足を運んできました。ArcHで開かれた「Living Together Lounge」。詳細はリンクしているページに飛んでご覧いただきたいのですが、最近エフメゾ(水曜日のメゾフォルテ)でお世話になっている伏見憲明さんがご出演されるし、肉乃小路ニクヨさんのショーも見られるしということで、現地でパートナー氏と待ち合わせていそいそと出かけてきました。



 で、自分、もう8月の終わりくらいから、真面目系の各種イベントや、HIV/AIDSの予防・啓発系イベントに一切顔を出さないでいたんですね。主義主張があってそうしていたのではなく、「ちょっと静かに落ち着きたい」という自分の身体の声に耳を傾けているうちに、自然とそうなったという(例外は9月のレインボーマーチ札幌か・・・。あれは帰省のようなものだし)。なので、そういう場に出ること自体が、約2ヶ月ぶりだったのです。



 その間も、ArcHにはたまにクラブイベントに遊びに行っていたし、エフメゾでアクティビスト系の方々とも個別に顔を合わせていたので、昨夕も個々の面々とはそんなに久しぶりという感じは無かったのです。



 が。HIV/AIDS予防・啓発関連の団体の方々が一同に会する場に久々に身を置くと、なんだか「人疲れ」というか、パワーに圧倒される感じがして、後半はちょっと疲れで無口になってしまった・・・。イベント自体はお三方の朗読も良かったし、ニクヨさんのショーもいつもながらに充実していて(アンコールの「Bon Voyage」は以前、別のパーティでも見たことがあったけど、今回また泣かされてしまった・・・)、とてもよ良かったのに、なんか周囲に申し訳なくてねぇ。



 「そろそろ、こういった場に慣れるようにリハビリを」と思っていたのですが、ちょっとショック療法すぎたかなぁ。もうちょっと段階を追って、徐々に慣れるようにしたほうが良いかなぁと自分で思いました。一緒にいたパートナー氏には「2ヶ月そこそこのブランクで、人疲れするもの?」と尋ねられましたが、自分の場合はそのようです。



 ということで、あまり焦らず、心身ともに十分自信がもてるようになってから、真面目系なイベントに行こうかなぁと思っています。その間も、プライベートでクラブイベントで遊んでたりするとは思うので、ご一緒したいという方は是非、そういうような場で。





 あ、Living Together Loungeの後、引き続きArcHで、パーティオーガナイザーやDJさん向けの、HIV/AIDSとドラッグ関係の現状報告会というのが開かれて(Rainbow Ringさんのプロジェクトチームが主催かな)、パートナー氏と同席させてもらいました。研究者による現状報告アリ、当事者による体験談アリと、構成がしっかりしていて、とてもためになる会でしたよ。

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プロフィール

赤杉康伸

Author:赤杉康伸
赤杉康伸(通称:NOV)

1975年5月、札幌市生まれ。2001年3月下旬から東京在住。2001年3月、北海道大学大学院 法学研究科修士課程(専修、公共政策コース)を修了。

札幌・東京における性的マイノリティ中心のパレード運営に参画。その間、2004年7月には、共編著で「同性パートナー -同性婚・DP法を知るために-」(社会批評社)を出版。

現在、東京メトロポリタン ゲイフォーラム 共同代表。NPO法人 共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク 理事。特別配偶者法全国ネットワーク メンバー。

当面は、近況報告や政治関連の記事をアップ予定です。「複雑な現実に向き合いながら折り合いをつけ、相手に『敵方』のレッテル貼りをせず、まずは対話を重視する政治」「多様な人々の、多様な利害を調整する政治」がモットー。

Twitterはこちら。メールはy.akasugi@gmail.com まで

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