NOV'S BLOG

LGBTやSOGI(性的指向・性自認)に関する政治動向・理論や活動などについて、主に綴っているブログです。

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7月2日(水)午後、中野区議 石坂わたるが、中野区議会定例会本会議にて一般質問を行ないます

 昨日6月26日、中野区議会 平成26年第2定例会がスタートしました。そして、私の連れ合いである石坂わたるは、7月2日(水曜)午後の本会議にて登壇し、一般質問を行ないます。

 今のところ15時台後半~16時台(=午後3時台後半~午後4時台)にかけての登壇が予想されますが、石坂より前に登壇する方々の質問時間によって、石坂の質問開始時間も前後します。具体的な時間指定ができず大変恐縮ですが、傍聴の場合は時間に余裕を持ってお越しいただくのが無難かと思います。
 

 石坂の一般質問予定事項は、

1.区長の所信表明と今後4年間の区政運営について
(1)「全ての区民が参加し支え合うまちの構築」とLGBTについて
(2)災害時にも平常時にも対応可能な、高齢者、障がい児・者、乳幼児親子支援における事業者や専門職団体などとの連携と、本人同意による情報の共有、職員スキルの向上について

です。

 なお、一般質問が行われる中野区議会 議会棟は中野区役所本庁舎(東京都中野区中野4-8-1)3階と渡り廊下で繋がっています。

*中野区役所本庁舎はJR/東京メトロ東西線の中野駅北口改札から徒歩約5分です。
*中野区役所周辺の地図については、こちらをご参照ください。

 中野区内/区外在住を問わず、どなたでも傍聴が可能です。傍聴の際は、議会棟3階の受付で手続きを済ませていただいた上で、議会棟5階の傍聴席へお越しいただければと思います。
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父の日

 日付が変わって昨日は父の日。午前10時少し前に、父(そして母)に携帯メールを送りました。未明に、東北地方を中心とした地震があり、札幌に影響があったかどうか、ちょっと心配でもありましたし。

 そしたら数分後に父から電話がありました。「メールありがとうな」「元気か?」等々・・・1分くらいの会話の後、父はすぐ母に電話を渡してしまいました。こういうところは昔からあまり変わらない父(笑)。母は母で、近況報告をしてくれつつも、ちょうど始まったW杯の試合(母はコンサドーレ札幌が設立されて以来のサッカー観戦好き)に若干気を取られがちのようでしたが^^;。

 先月の帰省時、両親と私の相互間で、お互いの加齢や老いについて認識し合えた(と私は思っているんだけど)ことは、とても良かったと思っています。子どもである自分が、親の加齢に思いを新たにするというのは、わりとありがちだと思うんですが。親は親で、「疲れがなかなか抜けなくてねぇ」という私の発言を聞いて、「昔は数時間寝たあとに、すぐまたガッコや活動に出かけてしまう、若かった頃のあの子ではないんだ」と感じてくれた…ような気がします(笑)。

 とにかく、週1~2回の携帯メールや電話でのやり取りは継続中です。

中野区長選関連の話、そしてこれからの私。

 6月8日投票・9日開票の中野区長選挙、そして、それに先立つ平成26年第1回中野区議会定例会における「中野区自治基本条例」改正について、個人的な見解を書こうと思っていました。

 が、この点、先日のエントリー(お詫びと現在の心境)で触れたブレイクスルーと密接に関わるところであり、掘り下げて書くと、長大な「自分語り」になってしまうことに気づきました(汗)。

 「書いている本人はまだともかく、『他人の自分語り』ほどつまらないものってないよなぁ」と私自身は思うので、自分語りを含まない範囲で、以下かいつまんで書きたいと思います(私の「自分語り」につながる部分にまで興味のある、奇特な方がいらっしゃいましたら、ぜひ直接お会いする機会にお話をしましょう^^)。

 まず、「中野区自治基本条例」改正については、共生中野(≒連れ合いこと、中野区議会議員 石坂わたる)の政務活動報告「たつのこ通信」第12号 4面にて概要と石坂の主張・信条が掲載されています。また、中野区議会公式サイトの会議録では、石坂が本会議で行なった賛成討論の全文が掲載されています。

 私は、上記のサイトなどに記載されている石坂の主張や信条と同じスタンスです。各メディアやWeb上で流れる情報では、上記たつのこ通信で掲載したような経緯や賛成討論の内容は紹介されることなく、最終的な条例改正に対する賛否だけが掲載されてしまいました。その点、個人的にとても残念に思います。

 また、中野区長選挙についてです。先日アップしたエントリー(遺言状(と思って書いた4月下旬作成のメッセージ))で、私はこう書きました。

 しかし、現実の社会に色々な制約がある以上、政治や活動は、その制約の中で「よりマシ(better)」、もっと言うと「より悪くない(less worse)」を選ぶ現実的な行為です。

 この点、石坂も上記のスタンスを私と共有しています(本人にきちんと確認済みです^^)。このスタンスをもとに、今回、石坂は中野区長選挙に対峙したのだと、私は理解しています。また石坂は中野区長選挙告示前、田中区長下での各政策・施策に対して、ブログにて石坂自身の感想やスタンスを掲載しています。

 こうした公開情報を踏まえた上での、石坂への反対意見や批判は当然あると思います(し、受け止めるべきと思っています)。しかし、上記のようなWeb上で公開されている石坂のスタンスを確認していないと思しき方々が、現象面だけ見て、「石坂は他政党の補完勢力になり下がった」「石坂は勝ち馬に乗った」という情報をSNS等で流しているのは、残念に思います。

 エントリー(遺言状(と思って書いた4月下旬作成のメッセージ))に戻ると、私はこう書きました。

『イデオロギーとユートピア』の中で、最も感銘を受けたのは、「イデオロギーというと、とかく悪者や胡散臭いものと思われがちである。しかし、イデオロギーとは人が物事を見るときの『色眼鏡』である。イデオロギーという『色眼鏡』自体が悪者ではなく、『色眼鏡』をかけているという自覚の無さが問題である」という趣旨の部分です。


 普段政治について一家言あるように語っている方々の中でも、「色眼鏡」をかけているという自覚を持たず、意見が異なる相手や勢力に対して「レッテル貼り」を行なっている人が少なからずいる。こうした状況を、今回の区長選を通じてあらためて目の当たりにし(まぁ、政治学を専攻し、色々な活動をしてきたので分かっていたことではあるのですが…)、もう正直うんざりという気持ちにも一瞬なりました。

 しかし、そんな中、今までそれほど政治に関心がなかったけれど、対話を通じて石坂のスタンスに賛同してくださった方がいる。応援をしてくださった方がいる。お忙しい中、時間や労力を一緒に費やしてくださった方がいる。何より、色々と「レッテル貼り」をされて悔しい気持ちであろう中、自分自身のベストを尽くしている石坂がいる。

 そうした状況を見て、私、思い出したんです。「複雑な現実に向き合い、折り合いをつけながら、『よりマシ(better)』『より悪くない(less worse)』選択をできる政治」を実現させたいという思いが自分の原点であったことを…、って、いかんいかん、自分語りが入ってきました(汗)。

 今、私が最優先させるべきこと。心身をさらに快復させ、安定した生活を送ることができるようになること(もういい加減、40歳目前の大人ですから、ねぇ)。その次に優先度が高いというかモチベーションが湧いているのは、「利害調整&現実的選択としての政治」「自治意識と自由主義・民主主義の関係性」「お互いを尊重しながら、公共性を作り上げる」ことを、立場が違う人にも伝えたり共有したりすること。それを踏まえない政治や諸活動(例えば、セクシュアリティ/ジェンダーに関する活動)は、膨らみや広がり、そして何より共感を欠くものになるのかなと、個人的に思っています。

 何度も繰り返しで恐縮ですが、私はシングルコア・シングルタスクな人間なので、まずは自分自身を安定させることにもう少し時間を費やしたいです。その上で、来年のGW明けくらい(この時期が意味するところ、お察しくださいませ)までは、今住んでいる地域の中で、自分が出来る範囲で(もう、色々背負い込んで大爆発したくないので^^;)、自分の原点に忠実にあるための動きを取ること。

 来年のGW明け、一段落ついて、私にもまだ居場所と果たす役割がもしもあれば、セクシュアリティやジェンダーに関しての活動に再度携わることもあるのかなぁ…と思っています。セクシュアリティやジェンダー関連の活動に関しては、居場所や果たす役割がないほど、多士済々、人材豊富な状況になっているのが望ましいと、わりと本気で思っている自分がいるんですが^^。

長い付き合いになったね

 今年のGW、東京がレインボーウィーク2014で盛況のさなか、私は札幌の実家へ静養を兼ねて帰省していました。5泊6日、近年では随分と長い帰省でした。

 2つ前のエントリーの通り、私は精神状態が悪くて、3月頃から両親が「うち(実家)へ休みに来ない?」と誘ってくれていたのです。しかし、その頃の私は本当に妄想気味で「んなこと言ったって、40歳近い息子がこんな状態になって迷惑がっているに違いない」と思いこみ(迷惑というか不甲斐ないのは事実ですが^^;)、なかなか帰省する踏ん切りがつきませんでした。

 しかし、3月末、どうしても外部の誰にも相談できない、個人的に哀しいことが起きました(内容は秘密にさせてください)。そして気づいたら…、母に携帯メールを送っていました。折り返しすぐ携帯に電話をくれた母を相手に、泣きながら1時間近く話をしてしまいました。雨降る中野駅の南口ロータリー付近で。母はただただ、私の話を聴いてくれました。

 私の周囲はありがたいことに頭が切れる人が多く、私が何か話をしたり相談すると、そのテーマでのアドバイスに加えて、私の真意や深層心理を分析・解釈してくださいます。それはとても感謝すべきことなのですが、この時の私は、ただただ苦し気持ちや悲しい気持ちを受け止めて欲しかった。そして真っ先に思い浮かんだのが、この歳になって恥ずかしいのですが、母親でした。

 それ以来、「ちゃんと一度帰省しなきゃいけないな」と思うようになりました。正直、GWの華やかな東京にいることへの辛さもあり、GW中に帰省しました。

 これまでも、札幌で毎年パレードが開催されていたおかげ(?)で毎年9月には帰省していました。しかし、パレードでの帰省は、実行委員時代、ゲイメディアの撮影要員時代、そして昨年は関連イベントのお手伝いもあり、正直言って両親とゆっくり話すこと、いや面と向かうことは殆どありませんでした。それでも両親は、自分の事情を分かってくれて「お兄ちゃん(私は二人兄妹の長男です)、仕事のようなものだから」と送り出してくれました。

 今回(内輪話で恐縮ですが)、昨年後半に両親が相次いで怪我をしたこともあり、なるべく一緒に過ごす時間を持ちました。大変申し訳無かったのですが、今回の帰省、札幌の友人には全く伝えず、夜も出歩くことなく、季節外れのお墓参りや散歩の他は、ずっと実家で過ごしました。

 両親とも敗戦の年の秋生まれなので、今年秋で69歳。年齢の点からいうと当たり前なのですが、やはり両親にも老いは徐々に訪れているのだということを、今回一緒に過ごして実感しました。また、今回の帰省中、私は39歳の誕生日を迎えたのですが、両親・妹と家族揃って前夜・当日夜と食事を取ることが出来ました。当日夜、食事をしながら「家族揃って誕生日を祝える機会は、あと何回あるだろうか・・・」と考えてしまいました。

 39歳になった私に母が、「私たちも、長い付き合いになったねぇ」と声をかけてくれました。何気ない一言だったのですが、とてもしみじみとしてしまい、涙を堪えるのに必死でした(きっと気づかれてたと思うけど^^;)。昔は会話をほとんどしなかった父も、私の体調を気遣ってか、「~食べるか?」「~飲むか」としきりに声をかけてくれました。札幌に着いた頃の私、相当顔色が悪かったみたいで(東京に戻る日、母が「随分顔色がよくなってホッとした」と言ってくれるまで、自分では気づいてなかったんですが^^;)

 このエントリーで、私、「家族バンザイ!」と言うつもりは全くありません。法的には縁を切ることができない家族だからこそ、その関係に悩む人はたくさんいます。特にLGBTの場合、家族の存在や言動に苦しめられるケースも多いでしょう。だから、このエントリー、単なる家族賛美にはしません。なので、少々補足させてください。

 私は札幌のゲイ・コミュニティーにデビューしてちょうど1年で、母親にカミングアウトしました。そして母は、父や妹、そして親戚へのフォローもしてくれました。2000年2月、私にカミングアウトされて3週間(!)後、LGBTの子どもを持つ親の会に初めて参加した母は涙を流しながら、「私は『ゲイ』はずっとテレビの中の世界の人で、自分の回りにはいないと思っていた。でもそれは、刷り込みであり洗脳でした」と参加者の前で話してくれました。

 そこから、母はLGBT活動を応援してくれるようになりました。昨年のレインボーマーチファイナルでも、出発前の会場に少し顔を出して、(あまり社交的な性格でないにも関わらず)各地の私の友人・知人に「いつもお世話になっています」と一緒に回ってくれました。

 そう、「家族だから」という理由だけではなく、母はカミングアウト後の私にとって、理解者であり戦友でもあったのです。こんな戦友がいたのに、どうして早いうちに相談しなかったんだろうと、今回とっても後悔しました。でも、お互いまだ生きているうちに、そう気づけて良かった…とも思いました。

 東京に戻る日は、実家を離れるのが辛かったけれど、それ故に帰京後は意識して(といっても週に1~2回くらいですが)両親へメールや電話で連絡するようにしています。そして、「戦友」に、快復した私の姿を見せるという励みが新たにできました。できれば今年は夏にも、もう一度帰省したいなぁと今は思っています。

遺言状(と思って書いた4月下旬作成のメッセージ)

今年4月26日、東京レインボーウィークの一環として、「gid.jp フォーラム32nd in 東京 セクシュアリティに関する当事者活動を考える」が開催されました。

私は昨年8月の時点で、このフォーラムへの出演依頼をいただき、快諾させていただきました。

が、その後の不調で、どうしても人前でお話ができない心身状態に陥りました。関係者・他の出演者の皆様、そしてご来場いただく皆様には大変申し訳ない思いでしたが、メッセージを作成し、当日、会場で代読していただきました。

その時は、伝えたい想いがある一方、精神状態が悪く(というか悲観的で)、最後は遺言状のような内容になったのですが、自分を振り返る縁(よすが)として、ここに公開したいと思います。

以下、代読いただいたメッセージです(後に見つけた誤字・脱字は修正しました)


gid.jp フォーラム32nd in 東京 
セクシュアリティに関する当事者活動を考える 
赤杉康伸 メッセージ
2014年4月26日

 ご来場の皆さま、企画・運営サイドやご出演のみなさま、こんにちは。

 東京都内で行われる国政選挙や自治体における選挙の際に、各政党や選挙立候予定者へゲイに関する公共政策アンケート調査を実施し、Web上で結果公開を行うユニット「東京メトロポリタン ゲイフォーラム」(以下、TMGF)で2001年から共同代表を務める赤杉康伸です。

 今年に入り心身ともに調子を崩し、日常生活に支障を来たす時期もありました。現在は最悪期よりも若干落ち着きつつある状態なのですが、「本番直前の出演キャンセル」「出演途中の不安定状態」になることは避けなければとの熟慮の末、本日はメッセージ代読という形を取らせていただくこととなり、最初に心からお詫び申し上げます。

 gid.jpの山本蘭さんから昨年8月に、本フォーラムへの出演依頼をいただいた際、「むしろ私自身、いわゆる『セクシュアル・マイノリティ向けの当事者活動』から最近は若干引き気味なので、その点をお話したほうが良いかな…とも思っております」と山本さんへ伝えました。それを受け、山本さんからは、「個人的には、なぜ『若干引き気味』なのかを聞きたいのですが」とのご返答をいただきました。

 そうした経緯もあり、私のパートでは、「1990年代半ば、ゲイ・アイデンティティ未確立で、ましてやLGBT活動に携わる前に、専攻の政治学徒としてまず学び、勃興期のNPO活動を見聞きしてきた人間が、15年間のLGBT活動を通して実感したこと。そしてこれからの課題と感じていること」を中心にお話を進められればと思っております。

 そのため、私がLGBT活動に携わる前史から少々始めさせてください。

 私がいわゆるゲイ・コミュニティ(活動団体やゲイバー)へ初めてアクセスしたのは、ちょうど15年前である1999年の春です。当時、札幌の実家に住んでいた私は学部から修士課程への進学期で、24歳の誕生日が間近な時期でした。

 ゲイ・コミュニティにアクセスする前の学部時代、私は政治学を専攻していました。その当時(1995~1999年)、私が所属する学部の政治学教授陣は、研究室の中に閉じこもるだけではなく、様々な市民活動団体と交流を持ち、現実社会への働きかけも行なう方々が多かったです。折しも、NPO法の立法化が政治日程に上っていた時期です。

 私もお世話になっていた教授の影響を受けてか、21歳から23歳頃の時期、キャンパス近くにあった、「北海道内のNPOをネットワーキング&サポートするNPO」の事務所によく出入りをしていました。そのNPOのメンバーの中には、当時弁護士で、その後、現職の札幌市長としてレインボーマーチ札幌でスピーチを行なってくださることになる、上田文雄さんもいました。

 私が各種NPOに携わっていた1990年代後半、NPO界隈でキーワードとなっていた言葉は「協働」です。この場合の「協働」とは、それまでとにかく対立的な立場にあった行政と市民(団体)が各々の特性を活かし、共通の政策や施策目的に対して活動することで、今までにないものを創り上げていくことです。その当時、「協働」について、字面上、私は分かったつもりでいました。

 さて、私が札幌でのゲイリブ活動に携わり始めた1999年はいわゆる、90年代ゲイリブの影響が濃厚でした。同性愛への偏見が感じられるメディア報道への抗議、献血問題における日本赤十字社への抗議、同性愛者への人権政策不作為に対する行政への抗議など。カミングアウトが今以上に難しかった時代背景を考えると、先鋭的・攻撃的になるのは止むを得ない部分も大きかったと思うのですが、ゲイリブ活動は当時、いわゆるプロテスト活動の側面が強かったように思います。

 2001年春、私は札幌から東京へ移住しました。そのタイミングで、冒頭の挨拶で触れましたTMGFを創設しました。各種選挙の際にアンケートを行なう中で、いわゆる保守と位置づけられる政党公認の候補者がゲイに関する政策に理解を示す回答を寄せてくださることもありました。

さらに、略歴に記載した「特別配偶者法全国ネットワーク」では、同性パートナーシップの法的保障実現を目的に、各政党・各国会議員へのロビイング活動を現在行なっています。そこでも、私たちの活動に理解を持ち、協力をしてくださっている国会議員は、まだまだ少数ながらも各党派に存在します。性的少数者の活動に限らず、とかく人間は、他者に対してレッテルを貼りがちです。が、最後は「個人個人がどのような意識を持っているのか」が重要なのだということを、これらの活動を通じて感じました。

 また略歴部分では字数制限上書きませんでしたが、私は2001~2003年に札幌の、そして2006~2007年に東京の、性的少数者を中心とするパレードの実行委員(正確に言うと、2007年は、当時の東京プライドプライドパレード主催元であった東京プライドの理事)としてパレード運営業務にあたってきました。

2003年のレインボーマーチ札幌では、その年初当選した上田文雄札幌市長がパレード後の集会に出席し、スピーチを行ないました。さらに、2007年の東京プライドパレードでは、厚生労働省と東京都の後援がつき、新宿区長・渋谷区長から祝福のメッセージが寄せられました。実は、祝福のメッセージを寄せていただくにあたって、新宿区長・渋谷区長との事前面談に業務として同席させていただいたことがあります。また、道路使用許可や車両などについての警視庁担当者との交渉にも同席させていただいたことがあります。

 2003年の札幌、そして2007年の東京、それぞれのパレード運営現場で感じた点。それは性的少数者関連の活動者にとって、行政は「対立ありき」な存在ではないなということです。もちろん立場も違いますし、見解が異なる部分もあります。しかし、一歩ずつでも現状を前進させるべく、お互いの立場や得意分野を尊重しながら「協働」することが大切なのだと、札幌での学生時代から10年経って、ようやく実感することができました。

字数制限上、これも略歴には書きませんでしたが、私は連れ合いである石坂わたるの中野区議会議員選挙も過去2回(2007年は落選、2011年は当選)手伝ってきました。その経験上、社会や地域の中で生きる顔の見える人間として、地域の色々な方々と協働していく必要性も痛感しました。もちろん、生理的にゲイや性的少数者に嫌悪感を示す人はいます。しかし、その人となりが分かっている状態で、それでもなお目の前にいるゲイや性的少数者を攻撃してくる人は殆どいないということも、選挙活動の手伝いを通じて痛感したところであります。


さて、話が前後しますが、私は大学時代、山口二郎教授という行政学専攻の先生のゼミに所属していました。山口教授は行政学のみならず、マスメディアで現代政治批評を行なうことも多いのですが、ゼミでは行政学や現代政治関連のみならず、政治思想系のテキストも題材としてきました。その中でもマンハイムの『イデオロギーとユートピア』という書籍は、ゼミから20年近く経った今でも、私の座右の書になっています。

  『イデオロギーとユートピア』の中で、最も感銘を受けたのは、「イデオロギーというと、とかく悪者や胡散臭いものと思われがちである。しかし、イデオロギーとは人が物事を見るときの『色眼鏡』である。イデオロギーという『色眼鏡』自体が悪者ではなく、『色眼鏡』をかけているという自覚の無さが問題である」という趣旨の部分です。

他の分野の市民活動もそうかもしれませんが、性的少数者の活動に強くコミットメントしていると、どうしても自分の「あるべき社会論」「あるべき正義論」が強くなりがちになるよう、個人的には感じています。率直に言うと、ゲイリブ活動に携わり始めた頃の私自身もその傾向が強くありました。

誤解や批判を恐れずに言うと、日本の性的少数者の活動(というか市民活動や運動の多く)は従来、いかに左派たるかを競っていて、より徹底して左派の立場に立つ人が理論的な優位性を保ち、徹底していない(と、より左派に立つ人が思う)人やグループを内部で叩くという構造があったように思います。あくまで個人的に受けた印象ですが。

しかし、「対立勢力」であると思い込んでいる方々も、当然ながら理念を持っています。仮に9割方、自説が正しいと思う場合も、相手の意見や理念にだって見るべきものはあるかもしれません。また、「9割方正しいであろう」自説を実現するに当たっては、世論を喚起し、行政や議員に働きかけて法律を作り、政策を実現させる必要があるわけです。「自分もまた『イデオロギー』という色眼鏡をかけている」という点について自覚的になることが、社会や政治を動かす場面では重要になるのではないかと思うのです。

 また、対立する相手方の理念をやっつけ、あくまで満額回答を求めるというのならば、それはもはや活動や政治ではなく「武力なき戦争」です。まして、多様性を旨とする性的少数者の活動を行なっている人間が、「武力なき戦争」をやってしまっては、多様性という大原則に背くことになるのではないでしょうか。政治学的に言えば、政治とは「多様な人々の、多様な利害を調整する行為」です。

加えて言うと、多様性という言葉自体、最近は使い勝手の良いマジックワードとして使われがちです。しかし、「個人的な内面は問わない代わりに、社会生活上、個人的感情をもとに相手の権利を侵害しない範囲で、嫌なヤツとも同じ社会で生きていく」という面が多様性の本質であると個人的には思います。決してキレイ事では終わらないのです。

現実的に性的少数者関連の活動を行ない、社会や政治に働きかける場面では、満額回答を得られることは少なく、むしろ譲歩や妥協を行なうことも多いのではないかと思います。しかし、現実の社会に色々な制約がある以上、政治や活動は、その制約の中で「よりマシ(better)」、もっと言うと「より悪くない(less worse)」を選ぶ現実的な行為です。日本では、譲歩や妥協はとかく批判されがちです。私も正直に告白すると、他者が苦渋の選択で行なったであろう妥協や譲歩を、思慮浅く批判したことがありました。そんなかつての自分への自戒も込めて言うと、性的少数者の活動に携わる人間こそ、理想を持ち続けつつ、現実に則して「よりマシ(better)」、「より悪くない(less worse)」選択を行なう柔軟性も持ち合わせていてほしいと思っています。

学生時代、私は市民活動や政治について考察できる機会に比較的恵まれていたと思います。しかし、私がそれらにおける真の重要性を実感したのは、自分が性的少数者の活動に従事し、10年近く経った30代半ばです。さらに、自分が活動を行なうにあたって抱えてきた悩みや問題について、活動を行なってきた諸先輩もかつて同様に直面してきたことを、やはり30代半ばに知りました。そうした面では、活動における歴史や経験の継承が、今後重要になってくることになるかもしれません。仮に、今までとは違う新しい活動を行なうにあたっても、歴史を知ることで、不必要な摩擦やリスクを予め避けることができるからです。

これまで述べてきた問題意識を特に30代半ば以降持ちつつ性的少数者の活動に従事してきました。しかし正直に言って、同様の問題意識を共有出来る人は少ないなぁと感じています。例えば、本日のフォーラム出演者でもある遠藤まめたさんは、深い部分で問題意識を共有できている数少ないお一人であると、個人的に勝手に思っているのですが(遠藤さん、突然お名前を出してしまって、ごめんなさい)。

15年間活動に従事してきた疲れと加齢(レインボーウイーク期間中に私は39歳の誕生日を迎えます)、そして問題意識をどう伝えていけばよいのかという悩みをここ数年抱えていたこともあってか、今年に入って、心身の調子を崩すようになってしまいました。

そうした経緯があり、TMGFの共同代表業務、特別配偶者法全国ネットワークの共同代表業務、そして連れ合いの区議会議員活動サポート業務を現在全面的に休養させていただいています。期限を決めていない休養なので、数カ月後にひょっこり活動を再開させるかもしれませんし、半年・1年・2年…場合によっては半永久的に活動から離れることになるかもしれません。

ただ、こんな自分にも、本日述べさせていただいたような経験や考え方を、現在進行形で活動している方々に伝える役割は果たせるのかなとも思っています。もちろん、心身ともに快復し、活動を再開できればそれがベストです。もし、私が心身ともに快復して、活動を再開させることができたら、本日出演されている皆さま、そして会場にお越しの皆さまと「協働」できれば良いなと思っています。その時はどうかよろしくお願いします。また、休養期間が長引くことになっても、理想を持ちつつも、現実と折り合いをつけながら活動を行なう仲間のことを、常に心から応援したいと思っています。

取り留めのないお話で恐縮ですが、以上をもってメッセージとさせていただきます。

2014年4月26日 
赤杉康伸

お詫びと現在の心境

 2014年年初から静養中です。当時ご心配、ご迷惑を掛けてしまったみなさま、本当に申し訳ありません。SNS等での一連の不安定さで、私への信頼が落ちてしまっていること、厳粛に受け止めています。呆れられてしまっても仕方のない無様さだったと思います。SNSをストップしたあとも、さらに落ち込み、自暴自棄気味になった時期もありました。

 まだ100%完調、というわけにはいかないのですが、ここ数日(2014年6月上旬)ちょっとしたブレイクスルーがあって、前向きな気分になってきました。

 当初は自分自身がやりたいと思っていたことに関して、昨年末辺りから「強制されているような被害者意識(妄想)を持っていた自分」「できれば避けて通りたがっていた自分」に、ブレイクスルーを通じて気付きました。自分、なんて情けないんだろうと、本当に久しぶりに自分への悔しさで涙を流してしまいました。

 39歳にもなって遅すぎるかもしれません。でも、いつ死ぬか分からない人間、被害者意識を持ったまま死んでしまうより、もし明日死ぬとしても、その前に自分の弱い部分とやるべき課題に気づくことができて良かった…とも思っています。

 焦らず調子をさらに整え、ご迷惑をおかけした方にきちんとお詫びをできる状態にし、自分がやるべきことや現状を直視して、(たまには弱音を吐くかもしれないけど)取り組んでいきたいと思います。

 正直言って、セクシュアリティやジェンダー関連のお話や活動に関しては、今の自分にはまだ荷が重く、能力も至らないので、ここや他のSNS等では当面触れることはほとんどないと思います。でも、「複雑な現実に向き合いながら折り合いをつけ、相手に『敵方』のレッテル貼りをせず、まずは対話を重視しながら活動している方々」のことを応援する気持ちは持ち続けています。

 当面は、今、関心があり、復調したら取り組みたい「利害調整&現実的選択としての政治」「自治意識と自由主義・民主主義」「お互いを尊重しながら、公共性を作り上げる」「日本における中道~中道左派勢力の帰趨」などの政治のお話、そして趣味や日常のお話を書き込もうと思います。

 また、今まで、人から物事を依頼されると、信頼していただいている(ように思える)嬉しさが勝り、ついつい引き受けてしまったのですが。他人にも相談できず、自分のキャパ以上のものを背負って爆発するのは、かえってみなさんへご迷惑をかけることに気づきました(この歳になって、遅すぎですね)。

 なので、これからはどうしても時間的・能力的に難しいときや無理な時は、ご依頼を「無理!」とお断りすることがあるかもしれません。でも、悪意あってのことでは全く無いです!「あぁ、シングルコア&シングルタスクの赤杉、今はいっぱいいっぱいなんだなぁ」と思っていただけると(勝手ながら)幸いです。

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プロフィール

赤杉康伸

Author:赤杉康伸
赤杉康伸(通称:NOV)

1975年5月、札幌市生まれ。2001年3月下旬から東京在住。2001年3月、北海道大学大学院 法学研究科修士課程(専修、公共政策コース)を修了。

札幌・東京における性的マイノリティ中心のパレード運営に参画。その間、2004年7月には、共編著で「同性パートナー -同性婚・DP法を知るために-」(社会批評社)を出版。

現在、東京メトロポリタン ゲイフォーラム 共同代表。NPO法人 共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク 理事。特別配偶者法全国ネットワーク メンバー。

当面は、近況報告や政治関連の記事をアップ予定です。「複雑な現実に向き合いながら折り合いをつけ、相手に『敵方』のレッテル貼りをせず、まずは対話を重視する政治」「多様な人々の、多様な利害を調整する政治」がモットー。

Twitterはこちら。メールはy.akasugi@gmail.com まで

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