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しがないゲイが考えていること。

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「誰かの願いが叶うころ」と「僕たちは戦わない」

政治とは詰まる所、「私益と私益の調整」だ。数多くの私益が、もし調整されないまま放置されれば、

「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ みんなの願いは同時には叶わない」
(宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」、2004年)

という事態になるだろう。

「みんなの願い」が100パーセントの状態で叶うことは、まず不可能だ。

それならば、各自がそれぞれ折り合いをつけつつ(=自分の願いが100パーセントは叶わないことを受け入れつつ)、「みんな」が合意できる地点を作り上げるしか無い。

そうして作り上げられるものこそが「公共性」なのだけれど、この流れで考えると、以下に記す歌詞が、「誰かの願いが叶うころ」に呼応しているように、個人的には思えてならない。


「この世界で流れ落ちる涙の総量決ってるなら みんなで分かち合おうか」
(AKB48「僕たちは戦わない」、2015年)


「誰かの願いが叶うころ」で、あの子が泣いて流していた涙を、「みんなで分かち合おうか」というのは、政治的に見て、社会的包摂や公共性の共有を意味するようにも思える。

だからこそ

「僕たちは戦わない 明日を信じてる
絶望の雲の下 切れ間に青空 探せ!」

となるのだろう。決して安易に戦うのではなく、絶望せず根気強く公共性を作り上げることこそ大切なのだから。

私は「僕たちは戦わない」が好きなんだけど、昨年流行っていた時に流布されていた「これは反戦歌だ」という風潮(主に左派陣営から)には、違和感を感じていた。正直言って、「単純で平板で陳腐な解釈だ」と個人的には思っていた。

「この曲は、ただ『戦わない』ことを歌っているのではなく、『いがみ合っていた相手との分かち合い』まで描いているからこそ、昨年の自分の心に響いたんだなぁ…」と先ほど道を歩きながら、ここまでの文章や発想が、急に頭の中に降りてきたので、急いで書き留めた次第。

要は「僕たちは戦わない」って、秋元康による、11年の時を経た、宇多田ヒカル「誰かの願いが叶うころ」への返歌なんじゃないのかな?ということが言いたいのでした。

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